退職後に従業員を引き抜いてよいか|引抜禁止特約・不法行為のリスク

退職後や退任後に、元同僚や元部下を新しい勤務先・自分の会社へ誘ってよいのかは、退職・退任トラブルでよく問題になります。少数株主である元取締役、創業メンバー、執行役員、営業責任者、部門責任者の場合は、単なる転職勧誘ではなく、「組織ごとの引抜き」「競業避止義務違反」「引抜禁止特約違反」「不法行為」として会社から損害賠償を求められることがあります。

結論からいえば、退職後に元同僚へ声をかけることが常に違法になるわけではありません。従業員には転職の自由があり、退職後の人材移動そのものを会社が無制限に止められるわけではないからです。もっとも、在職中から部下を組織的に誘う、虚偽の説明や威迫的な方法で転職を迫る、会社の秘密情報や人事情報を使う、引抜禁止特約に反する、といった事情があると、違法性が問題になります。

坂尾陽弁護士

従業員引抜きのリスクは、「誰に声をかけたか」よりも、「いつ、どの立場で、どのような方法で、どの情報を使って誘ったか」で大きく変わります。
  • 退職後に元同僚へ連絡することが、直ちに違法になるわけではありません。
  • 在職中に部下を組織的に誘う行為は、取締役の忠実義務や雇用契約上の誠実義務の問題になりやすいです。
  • 引抜禁止特約や勧誘禁止条項がある場合は、期間・対象者・禁止行為の範囲を確認する必要があります。
  • 大量・計画的・威迫的な引抜き、虚偽告知、秘密情報の利用は不法行為のリスクを高めます。
  • 少数株主の場合、従業員引抜きの主張が株式売渡しや株式買取条項に波及することがあります。
(執筆者)弁護士 坂尾陽(Akira Sakao -attorney at law-)

2009年  京都大学法学部卒業
2011年  京都大学法科大学院修了
2011年  司法試験合格
2012年~ 森・濱田松本法律事務所所属
2016年~ アイシア法律事務所開業

弁護士 坂尾陽

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従業員の引抜きは常に違法なのか

従業員の引抜きといっても、内容はさまざまです。元同僚から転職相談を受けて一般的な会社説明をする場合もあれば、退職前から部下を集めて新会社への移籍を計画する場合もあります。これらを同じ「引抜き」として扱うと、リスクを見誤ります。

基本的には、従業員には職業選択の自由があり、よりよい条件の会社へ転職すること自体は許されます。退職者側も、退職後に自分の人的関係をもとに事業を行うことまで当然に禁止されるわけではありません。したがって、特約がない限り、退職後の個別的な転職勧誘だけで直ちに違法とまではいえない場面があります。

一方で、会社の営業部門や技術部門をまとめて移籍させる、在職中の地位を利用して部下に退職を迫る、会社の信用不安をあおる、秘密情報を使って必要人材を選別する、といった方法は、自由な転職勧誘の範囲を超えると評価されることがあります。

東京地裁令和2年3月26日判決では、取締役兼部門責任者であった者が、顧客へ会社の信用を害する説明をし、複数の従業員に対して強い言動で転職を促したことなどが問題になりました。裁判所は、顧客対応や従業員への働きかけの態様を踏まえて、自由競争の範囲を逸脱する行為を認めています。

在職中の勧誘と退職後の勧誘は分けて考える

従業員引抜きで最初に確認すべきなのは、勧誘をした時点が在職中か、退職後かです。在職中であれば、取締役には会社に対する善管注意義務・忠実義務があり、従業員にも雇用契約上の誠実義務があります。会社の利益を害する形で部下を新会社へ誘導すれば、退職後の行為よりも強く問題視されやすくなります。

特に、役員や幹部従業員が在職中に次のような行動をすると、会社側から「背信的な引抜き」と主張されやすくなります。

  • 退職前に部下を集めて移籍を勧める:自分の退職と同時期に複数人を退職させる計画があると、組織的な引抜きと評価されやすくなります。
  • 会社の経営不安をあおる:事実確認が不十分なまま「会社が危ない」「残ると不利益がある」と伝えると、信用毀損や不法行為の問題になります。
  • 職務上の権限を利用する:評価権限、配置権限、案件配分権限などを背景に転職を促すと、自由な勧誘とは言いにくくなります。
  • 会社の情報を使う:給与、評価、担当顧客、スキル、退職意向などの社内情報を使って勧誘対象を選ぶと、守秘義務や不正競争防止法の問題にもつながります。
  • 引継ぎや退職交渉を隠れみのにする:引継ぎの名目で新会社への移籍相談を進めると、在職中の地位利用と見られることがあります。

これに対し、退職後に、相手の自由意思に基づき個別に転職相談を受ける場合は、評価が変わります。ただし、退職後であっても、在職中から移籍計画を進めていた、会社資料を使っていた、引抜禁止特約がある、といった事情があれば、リスクは残ります。

引抜禁止特約・勧誘禁止条項を確認する

会社から従業員引抜きを指摘された場合は、まず、引抜禁止特約や勧誘禁止条項の有無を確認します。少数株主・元役員の場合、雇用契約書や就業規則だけでなく、株主間契約、株式譲渡契約、役員委任契約、執行役員規程、退職合意書、退職時誓約書に条項が入っていることがあります。

確認すべきポイントは、次のとおりです。

  • 禁止期間は何年か。
  • 禁止対象は全従業員か、部下・担当部門・役員・幹部だけか。
  • 禁止される行為は、勧誘、雇用、紹介、採用支援、第三者を通じた接触のどれか。
  • 自分が直接誘った場合だけか、転職先会社が採用した場合も含むのか。
  • 退職後だけでなく在職中も対象になっているか。
  • 違反時に、損害賠償、違約金、株式売渡し、退職金不支給などの効果が定められているか。
  • 競業避止義務や秘密保持義務と一体の条項になっているか。

東京地裁平成21年5月19日判決では、代表取締役・CEOであった者について、株式譲渡契約や執行役員規程に基づく退任後2年間の競業避止義務や引抜禁止義務が問題になりました。裁判所は、本人の地位、契約の文言、期間、会社の保護利益などを踏まえて、義務の存在を認めています。

もっとも、引抜禁止特約があれば常に全面的に有効というわけではありません。期間が長すぎる、対象者が広すぎる、禁止行為が不明確で通常の人的交流まで制限する、代償や必要性が乏しい、といった場合には、条項の有効性や適用範囲を争う余地があります。競業避止義務の有効性と同じく、保護される会社の利益と、退職者側の活動制限のバランスが重要です。

違法と評価されやすい従業員引抜きの典型例

従業員引抜きが違法と評価されやすいのは、単なる転職情報の提供ではなく、会社の組織や業務を大きく混乱させるような態様がある場合です。特に、計画性、背信性、人数、方法、会社への影響が重視されます。

典型的には、次のような事情が重なるとリスクが高くなります。

  • 大量引抜き:部署、営業チーム、プロジェクトメンバーなど、会社の重要部分がまとめて移籍する場合です。
  • 計画的な移籍準備:退職前から新会社の受け皿、事務所、顧客対応、業務開始日を準備していた場合です。
  • 虚偽・誇張した説明:会社が倒産する、給与が払われない、残ると不利益を受けるなど、事実と異なる説明で不安をあおる場合です。
  • 威迫的・強圧的な勧誘:上司・部門長としての影響力を使い、退職を断りにくい状況を作る場合です。
  • 会社情報の利用:従業員の評価、給与、担当案件、顧客関係などの内部情報を用いて移籍対象者を選ぶ場合です。
  • 新雇用主との共謀:転職先会社が旧会社の重要人材を組織ごと移籍させる計画に積極的に関与する場合です。

東京地裁平成3年2月25日判決は、従業員の同業他社への大量移籍が計画的・背信的であるとして、移籍グループのリーダーや新雇用主の責任が問題になった裁判例です。事案では、営業組織の移籍、会社の経営状況の説明、旅行先での説得、移籍先での営業開始など、多数の事情が問題になりました。

このような裁判例は、従業員の転職が許されないという意味ではありません。むしろ、自由な転職と違法な引抜きの境界を見るには、転職者本人の自由意思が尊重されていたか、旧会社の信用や組織を不当に害する方法がとられたか、会社の内部情報や在職中の地位が利用されたかを具体的に見る必要があります。

違法性を争える可能性がある事情

会社から従業員引抜きを主張されても、常に損害賠償責任が認められるわけではありません。会社側は、誰を、いつ、どのように勧誘したのか、その結果どの損害が生じたのかを具体的に主張立証する必要があります。退職者側としては、事実関係を整理することで、違法性や損害との因果関係を争える場合があります。

例えば、次のような事情は、退職者側の反論材料になり得ます。

  • 退職後に、相手から自発的に相談があった。
  • 個別の転職相談に応じただけで、大量・組織的な引抜きではない。
  • 会社のメール、名簿、人事資料、給与資料、顧客情報を使っていない。
  • 虚偽告知、信用毀損、威迫的言動をしていない。
  • 転職者はもともと退職意思を有していた。
  • 会社の業務停滞や売上減少は、引抜き以外の原因による。
  • 引抜禁止特約が存在しない、又は範囲が不明確である。
  • 特約があるとしても、対象者や期間から外れている。

重要なのは、「誘っていない」と抽象的に否定することではありません。誰について、最初の接触は誰からだったのか、どのような文面だったのか、転職の意思決定はいつだったのか、会社情報を使っていないといえる根拠は何かを整理することです。

元部下・元同僚に声をかける前の注意点

これから元部下や元同僚へ声をかけようとしている場合は、送信前にリスクを確認するべきです。特に、退職直後、会社から警告書が届いている場合、又は株式買取・競業避止義務違反と同時に問題になっている場合は、軽い連絡のつもりでも紛争を大きくすることがあります。

  • 在職中の部下には安易に連絡しない:業務時間中、会社メール、会社チャット、会社端末を使った接触は避けるべきです。
  • 会社の悪口や信用不安を伝えない:「会社が危ない」「残っても将来がない」といった表現は、後で大きな争点になります。
  • 条件提示は慎重にする:給与、役職、案件を具体的に示す場合は、転職先会社の正式な採用プロセスと整合しているか確認します。
  • 秘密保持義務違反を誘発しない:顧客リスト、案件資料、見積情報、技術資料などを持ってくるよう求めてはいけません。
  • 相手の自由意思を残す:転職するかどうかは本人が判断すること、現職との契約や就業規則を確認すべきことを明確にします。
  • 記録を残す:メール、メッセージ、面談日、話した内容を保存し、後から説明できる状態にしておきます。

特に、元取締役や元部門長の場合は、退職後であっても元部下からの心理的影響が残ることがあります。相手が自由に断れる状況だったか、現職への忠実義務や守秘義務に反する行動を促していないかを確認してください。

退職時に引抜禁止誓約書への署名を求められた場合

退職時に、競業避止義務、秘密保持義務、顧客勧誘禁止、従業員引抜禁止をまとめた誓約書への署名を求められることがあります。この場合、退職時誓約書一般の拒否可否を抽象的に考えるのではなく、従業員引抜禁止条項の内容を具体的に確認します。

特に、禁止期間が長すぎないか、対象者が全従業員になっていないか、通常の知人関係や公開求人への応募まで禁止する文言になっていないか、違反時の効果が過大でないかを確認してください。条項の文言によっては、転職先の通常採用や偶然の応募まで「引抜き」と評価されかねない場合があります。

署名前に修正交渉をする場合は、「元部下を組織的に誘わない」「秘密情報を使って勧誘しない」といった合理的な範囲に絞る方向が考えられます。すでに署名している場合でも、条項の有効性や適用範囲は別途問題になりますが、安易に違反を疑われる行動をとらないことが重要です。

顧客奪取・営業秘密・競業避止義務との関係

従業員引抜きは、顧客奪取や営業秘密の持ち出し、競業避止義務違反とセットで主張されることがあります。会社側の通知書に複数の論点が書かれている場合は、まとめて反論するのではなく、論点を分けて検討します。

顧客への連絡や取引先への営業が問題になっている場合は、退職後の顧客・取引先への連絡に関する解説で扱うように、退職挨拶、連絡先通知、営業、受注誘導、虚偽告知を分ける必要があります。顧客情報や社内データの持ち出しが問題になっている場合は、退職後の守秘義務・営業秘密に関する解説で扱うように、情報の取得・保存・使用・開示を分けて確認します。

また、競業避止義務違反そのものが問題になっている場合は、競業避止義務違反に関する解説で、契約条項の根拠、有効性、禁止範囲を確認してください。従業員引抜きは競業避止義務の一部として定められることもありますが、競業と人材勧誘は法的な争点が異なります。

損害賠償・差止め・株式買取への波及

従業員引抜きが問題になると、会社から損害賠償、転職勧誘の中止、引抜禁止条項違反の違約金、株式売渡し、退職金不支給などを主張されることがあります。少数株主・元役員の場合は、単なる労務紛争ではなく、株主間契約や株式譲渡契約の違反として扱われることもあります。

損害賠償では、会社側が、引抜き行為と損害との因果関係を問題にしてきます。たとえば、重要部署の機能停止、売上減少、採用費、外注費、顧客対応の混乱などが主張されることがあります。しかし、会社の売上減少がすべて退職者の引抜きによるとは限りません。退職者側としては、転職者の退職意思、会社側の処遇、業績悪化の原因、他の人員補充、実際の業務影響を分けて整理する必要があります。

株式買取への波及にも注意が必要です。契約上、競業避止義務違反、秘密保持義務違反、従業員引抜きなどを理由に、退職者株主の株式を会社又は指定者へ譲渡する条項が置かれていることがあります。退職・退任時の株式売渡しや買取価格は、退職時の株式買取に関する解説で確認してください。

会社から警告された場合の初動対応

会社から従業員引抜きの警告書、内容証明、損害賠償請求書が届いた場合は、まず追加の接触を止め、時系列と証拠を整理します。感情的に反論したり、元同僚へ「会社から警告された」と一斉連絡したりすると、さらに勧誘を継続していると見られることがあります。

  • 会社から届いた通知書、内容証明、メールを保存する。
  • 連絡した従業員ごとに、最初の接触日、接触方法、発信者、内容を整理する。
  • 相手から相談があった場合は、その最初の連絡記録を保存する。
  • 在職中に接触した場合は、日時、場所、業務時間内外、使用端末を確認する。
  • 会社情報、人事情報、顧客情報を使っていないかを確認する。
  • 引抜禁止特約、競業避止義務、秘密保持義務、株式売渡し条項を確認する。
  • 転職先会社や共同創業者とのやり取りも整理する。
  • 会社への返信では、事実確認前に違反や損害を認める表現を避ける。

会社の主張に誤りがある場合でも、証拠を消したり、メッセージ履歴を削除したりすることは避けるべきです。後で説明できるよう、連絡履歴、採用プロセス、相手の自由意思を示す資料を残しておくことが重要です。

会社間のノーポーチ合意・独占禁止法との違い

「引抜禁止」という言葉は、退職者個人の元同僚への勧誘だけでなく、会社同士が互いの従業員を採用しないと合意する場面でも使われます。後者は、いわゆるノーポーチ合意や人材獲得制限の問題であり、独占禁止法上の問題が生じ得ます。

もっとも、少数株主・元役員が退職後に元部下へ声をかけたという問題と、会社同士が相互に人材採用を制限する問題は、整理すべき法的枠組みが異なります。この記事では、主に退職者個人の引抜禁止特約、不法行為、在職中の義務違反を扱っています。会社間の採用制限やノーポーチ合意は、別途、独占禁止法の観点から検討する必要があります。

弁護士に相談するときに整理したい資料

従業員引抜きの相談では、誰が誰に声をかけたかだけでなく、退職前後の時系列、契約条項、採用プロセス、会社側が主張する損害をまとめて確認する必要があります。相談前には、次の資料を整理しておくと、違法性と損害の見通しを検討しやすくなります。

  • 会社から届いた警告書、内容証明、損害賠償請求書
  • 雇用契約書、役員委任契約、就業規則、退職合意書、退職時誓約書
  • 株主間契約、株式譲渡契約、持株会規約、株式売渡し条項
  • 競業避止条項、引抜禁止条項、勧誘禁止条項、秘密保持条項
  • 退職日、退任日、最終出社日、転職先入社日、勧誘日をまとめた時系列
  • 元同僚・元部下とのメール、チャット、SNS、通話メモ
  • 転職者本人の退職理由や退職意思が分かる資料
  • 転職先会社の採用手続、求人票、面接記録、内定通知
  • 会社が主張する損害額、売上減少、採用費、業務停滞に関する資料

少数株主・元取締役の場合は、従業員引抜きの問題が、競業避止義務違反、顧客奪取、営業秘密、株式買取と結び付けて主張されやすいです。どの論点が中心で、どの論点は証拠が弱いのかを分けて整理することが、交渉や訴訟対応の出発点になります。

まとめ

  • 退職後に元同僚へ声をかけることが、常に違法になるわけではありません。
  • 在職中の勧誘、大量・組織的な移籍、虚偽告知、威迫、秘密情報の利用はリスクを高めます。
  • 引抜禁止特約がある場合は、期間、対象者、禁止行為、違反時の効果を確認します。
  • 従業員引抜きは、顧客奪取、営業秘密、競業避止義務、株式買取と分けて検討する必要があります。
  • 会社から警告された場合は、追加接触を控え、連絡履歴と契約書類を整理してから回答します。

従業員引抜きの紛争では、「誘ったかどうか」だけでなく、在職中か退職後か、相手の自由意思があったか、会社情報を使ったか、組織的・大量の移籍だったか、引抜禁止特約があるかが重要です。会社から警告を受けた場合は、事実関係を整理せずに返信したり、元同僚へ追加連絡したりする前に、契約条項と証拠を確認してください。

坂尾陽弁護士

元部下・元同僚への声かけは、文面、時期、相手の自由意思、使用した情報が後で証拠になります。会社から引抜きと言われた場合は、感情的な反論よりも、時系列と連絡記録を整えることが大切です。

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